それは8/24(土)PM4:07の出来事だった。雨、夢にまで見た雨がようやく降ったのだ。井手守日誌によれば、8/3夜に降ったのが最後の雨だったので、21日後、つまり3週間ぶりの雨であった。前日の夕方、北の九重山側の空が曇り、ゴロゴロと叫んではいたが、結局雨は降らなかった。「今日もこけおどしの音だけか」「ちゃんと降れよ」と、私は天に向かってはっぱをかけていた。
山陰地方の豪雨のニュースを見て、不謹慎にも「少しわけてくれないかな」と思う気持ちさえいだく毎日であった。
日本は神の国である。自然相手の我ら農民にとって、天の神に祈らずにはいられない気持ちが次第に強くなっていた。
”雨乞い”はどうすればいいのだろうか。調べてみると、どうも、うら若き乙女が必要らしい。天の神も人間界の趣向とそう変わらないようだ。さて、乙女をどうするか。さすがに、かの妻も乙女をかたるには、ちと無理があるようだ。ご近所を見渡しても、有に半世紀前の乙女がほとんどである。私は乙女抜きで、一人静かに祈ることとした。そんな私の雨乞いが効いたかのような、しっかりと期待に応える雨であった。
今朝(8/25)起きても雨が降っていた。一晩降り続けたようだ。私は傘をさして、久しぶりに雨の中を見回りにでかけた。こんな感じだったよな、雨の日は。遠く消えかけていた記憶がよみがえってきた。妻は一晩降ったことを確かめて「もう、いいよ」と天に呼びかけた。私は天になり代わって「せっかくなので、もうしばらく降りたいんですけど」。人の都合など聞いてくれないのが自然だ。自然のふるまいの中で、やりくりするというのが人というものだろう。