米作りに宿る文化

田植が6/19になんとか終わった。と言うのは、今年の苗はあまりできが良くなかったのだ。5/23に苗箱に播種後、まだビニールを被せている5月下旬にやたら暑い日が続いた。気になってビニールを剥ぐと、多くの苗が途中で枯れるようにしぼみ上部がパラパラと落ちるのだった。れいによって師匠のKさんに相談すると、なんかの病気だろうということになり、換気を気をつけると共に、しつこく水を与えていた。

 

その後苗も元気を取り戻し、なんとか10cmを超え田植ができるる背丈まで成長した。そして田植の日となった。「今年は一人で植えるの?」と妻に言われるたものの、私が自力で田植えをするのは2回目(2年目)にすぎない。田植機はいろんな機能があって調整が細かいのだ。「まだちょっと、指導員がいないと・・・」とか言いながら今年もKさんにレクチャーしてもらうことになった。

 

そしてKさんが私の苗箱を見て、「なんか元気ないな」とつぶやきながら苗箱から苗を取り出し田植機に乗せようとすると「こりゃ、根が張っちょらん」。確かに去年の苗は根がお互いにびっしりくっつき、容易に剥がれなかった。それに比べ今年の苗は、苗を取り出すとバラけそうになる。

 

後で原因を考えたが、苗床の土を少しケチって安いのにしたのと、水をやり過ぎたせいなのだろうという結論になった。”苗半作”と言われるくらい苗作りは重要なのだ。一抹の不安を抱きながらの田植えとなった。

 

言うまでもなく米作りは百姓の王道である。野菜をちょこちょこ作っているだけでは一人前の農業者とはみなされない。「あー家庭菜園ね」と言われるぐらいだ。米作り、そしてその苗を自分で作ってこそなのだ。そして米作りには日本独特のこだわりがあるように感じる。

 

まず、苗作りでは背丈がきちんとそろっていること。ここで凸凹だと笑われる。田植では碁盤の目のように縦横揃いながらも抜けがないことである。揃っていないととして、また笑われる。そして最も嫌われるのがが稗(ヒエ)である。”稗だらけの田んぼ”や”草ぼうぼうの田や畑”は怠け者の象徴なのだ。逆に言えば小まめに草刈りをしたり、田んぼに這いつくばって稗取りをしていれば”働き者”と見られるようだ。

 

また、収穫期に倒伏するのもけっこう恥ずかしいことのようだ。昨年気候のせいか倒伏する田んぼが多かった。近所のあるベテラン農家では、倒伏して間もなく、まだ十分登熟していないようでも早々と稲刈りをやっていた。昨年私の餅米(香り米)は大変美味しかったが、実は収穫期に軒並み倒伏したのだ。穂先が地べたに着いて雨が降ると、そのまま穂先のモミから芽が出てしまう。芽が出てしまうと元も子もない。私は雨が降る前、夜遅くまでヘッドライトをつけて、倒れた稲を起こし、ロープを張り巡らしてなんとかしのいだのだ。

 

日本は古来より”恥の文化”があると言われる。農作物もその出来具合(味、量)だけでなく、生産過程、つまりプロセスも美しくなければならないのだ。この独特の感覚こそ、自然に手を入れ、人と自然が折り合い共存する、かつての里山の風景を築いてきたものだと思う。

 

言うまでもなく私の米作りはまだまだ笑われてばかりである。しかし、やっぱり勝負は味である。見た目はみっともなくても、収穫量は少なくても、安全で、そして何よりも美味しくなければならないと思う。

 

米を自分で作るようになり、田んぼに這いつくばっていると、「あーオレは日本人なのだ」とつくづく思うようになってきた。

田植機で欠けた個所を手植えしている

田植え2W後:青くシャキッとしてきた


浅瀬にたむろする無数のオタマジャクシ
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