「高倉さんが・・・」と言うと、ご近所のオヤジさんか、職場の同僚のようでピンとこない。やはり高倉健と言えば、「ケンさん」と呼ぶべきだろう。あの高倉健が亡くなった。男である私からみても、やは健さんは寡黙な男でかっこよかった。
任侠映画と言えば、鶴田浩二、高倉健、菅原文太の3人が有名だ。鶴田浩二は本物ぽくて近寄りがたく、菅原文太は鉄砲玉のイメージ。やはり健さんが一番人気だった。
健さんと言えば、中学生のころ、同級生に○○健(タケシ)という者がいた。高倉健の映画を見たらしくある日の朝、ポケットに両手を入れ、目を細めながら「オレのことを今日から”ケンさんと呼んでくれ”」と言われたことを思い出す。私は意味がわからず「はあ?」、しばらくして「もしかしてお前もちごとったつか?(違っていたのか)」と問い返した。
実を言うと、授業の宿題だったか、高校受験の為だったか自分の戸籍をとる必要があった。私の誕生日は・・月24日である。母からそう言われ、長年そのように思っていた。ところが調べてみると、なんと・・月22日になっていたのだ。驚いた私は母に「かあちゃん、オレの誕生日がちごとったよ(違っていたよ)」と言うと、母は「そうか」と軽く受け流したのだ。母にしては2日くらいどうでもいいことだったのだろう。
ちなみに高校生のころ、父に連れられ眼鏡を買いに行った時、店員に「ヤスオさんの漢字はどう書くのですか」と聞かれ、なんと父は「”やすいおとこ”です」と言うではないか。私は「違う!」「安心のアンに、英雄のユウたい(安雄)」と大きな声で叫んだ。父は「そうやったか」と意に介しない。
”やすいおとこ(安男)”はなかろう。そんなつもりで私は名前を付けられたのか。私は「ぐれてやるー」としばらくくさっていた時期があったころを思い出す。
話は戻るが、母の名前は”ヤ○○”という。そう、カタカナでヤ○○である。小学生のころだったか、母に「かあちゃんの名前は漢字でどうかくとね?」と聞いたことがある。母はしばらく間をおいて(考えて?)、”安△”と漢字で紙に書いてくれた。それから母は、しばらく自分の名前を漢字で書いていたように記憶している。
まあ、おおらかな時代であったのだろう。
健さん、安らかに眠ってください