9月も末になり、草刈りの季節もようやく終わりに近づいてきた。田舎暮らしを始め苦節3年半、ひたすら草刈り生活をしてきたわけだが、草刈りに関してある種の法則めいたものを感じるようになってきた。
第一の法則 「草取り3日、草刈り3年」
根を残さないのを”草取り”と言い、根を残すのを”草刈り”と呼ぶ。草を無くそうとする目的は同じだ
が、その結果は大きく異なる。草取りのことを特に”草むしり”とも言うが、これは人力であることを
強調する場合だろう。草取りは3日やると嫌になる。対して草刈りはほとんどの場合ビーバー(草刈
り機/刈払機)という専用の機械を使う。つまり草取りは手作業で、草刈りは機械を使うという手段
の違いも意味する。草刈りは3か月やると慣れ、3年やると日常になる。田舎暮らしは膨大な田畑を
相手にするものであり、草刈りを本文とすべきであろう。
第二の法則」「草刈りには流派がある」
中学生のころ男子は全員丸刈り(坊主頭)であった。普通の丸刈りは毛の長さが一分か二分(3~5
ミリ)であるが、野球部員は”五厘刈り”と呼ばれる極めて短い(1~2ミリ)丸刈りであった。普通
の丸刈りは遠目に見てもちゃんと毛が見えるが、五厘刈りになるとほとんど地肌が見え、時に青光り
する者さえいる。恐怖の五厘刈りである。
草刈りにも似たような違いがある。特に年配者に多いのが土埃を舞いながら、草が見えなくなるま
で深く刃先を土に当てた草刈りである。私の母も同じ五厘刈りの草刈りであった。私がやった後、
「これじゃ、でけん(いけない)」と言って、同じところで土埃を舞いあがらせていた。母にとって
草は”親の仇”のように絶対に許せないものであったのだろう。
私の草刈りは刃先を少し浮かせながらの草刈りをする。そう1センチ近く残す”五分刈り”である。根
こそぎとっても草はまた生えてくる。それならば程よい高さの”癖のいい草”にしていくのがいいだろ
う、との考えである。また、田畑の畔は地肌が見えるまで草を無くすと、乾燥して崩れやすい畔にな
りやすい。恐怖の五厘刈り、草刈りもまた同じであろう。
第三の法則 「草刈りは連鎖する」
田んぼはつながっている。登記簿(字図)上、境界線はあるものの実質的に畔は共用のようなもので
ある。誰かが草刈りをすると隣の人も草刈りする。そう何よりも目立つからである。草刈りをサボ
り、草ぼうぼうにすると迷惑をかける。だからといって早すぎる草刈りも隣の人から嫌われるので
ある。経験上、隣の人がやってから3日以内にやるようにするとよさそうである。
草刈りは年長者が先導し、連鎖的にやると互いのと人間関係がうまくいくようだ。