田舎かからみた小説

遅ればせながらではあるが、芥川賞の小説「火花」と「スクラップ・アンド・ビルド」を読んだ。雑誌「文芸春秋」9月号に掲載されていたのだから、かれこれ2か月くらいかかっただろうか。長編小説ではないのだけれど、私はこの手のものは苦手なたぐいで、なかなか一気には読めない。


妻が先に読んだのだが、ふたつで1週間もかからなかったと思う。私の頭が理系だからなのだろうか、ストーリとして”何が言いたいのか”はっきりしない物語はやはりかったるい。


ところで、久しぶりにこのての小説を読んであることに気がついた。はたして地方の読者に表現されている情感がどれだけ伝わるのだろうか。という疑問である。


「火花」の主な舞台だに東京の吉祥寺が出てくる。”ハーモニカ横丁”の、あの狭い路地の商店街・飲み屋の空気が行ったことのない人に想像できるのか、である。戦後の闇市の跡にこじんまりとした商店が並んでいるのだが、その商店街がなんの断りなしにいきなり「ハーモニカ横丁の飲み屋・・・」と出てくるのである。下北沢のハイカラな路地と、吉祥寺の井の頭公園からハーモニカ横丁の飲み屋のコントラストを描いていても、作者の意図と地方の読者の乖離は少なくないと思う。


例えばの話だが、今私が住んでいる大分・緒方町の駅前にもちょっとした商店街がある(あった?)が、なぜかそれよりも近い場所に葬祭場がある。そこで私が小説を書いたとする。

”緒方駅を出て広場を抜けると唐突にその葬祭場があった・・・”と書いて、その主人公が抱いた町の違和感をわかる人がはたして何人いるかである。


私が最初に緒方駅前の道路を車で通った時、なぜこんな駅そばの一等地に葬祭場があるのか、とても不思議だった。なんにもない地方の駅前ではない、それなりに商店街とおぼしきものが並んでいる駅前であるはずなのに。


もっとも4年もこの町に住んでいると、黒の正装をした人であっても人がいっぱいいると、「今日はにぎわっているな・・・」という感じで、ホッと?すら、感じてしまうのであるが。


話は横道にそれたが、田舎暮らしをすると見えてきたものがだんだん増えているようである。地方創生を叫ぶならば東京目線の小説だけでなく、”小説の地方化”にも取り組んでもらいたいものである。

問合せ

☎:090-6709-0484

☎:0974-27-2054

紅型(ビンガタ)タペストリ

2021年鶴亀

アクセスカウンター
カラコン 通販ダイエットサプリピアス通販モテコン