もし、お代官様がおられる時代だったとしたら、百姓の私にこう言われるだろう。「お主か?マツモトと称する百姓は」「お前の田はなんだ、ヒエだらけではないか」「今後、マツモトの姓を改め、ヒエダ(稗田)と名乗るがよい」
※以前勤めていた会社の先輩に”稗田”という人が実際にいた。そのころは気にすることは何もなかったが
、米を作り始めると、ちょっとどうかな~と思われる苗字のように感じる。
このように言われてもしかたがないくらい、ヒエが多発してしまった。と言っても作付けしている3枚の内の1枚だけなのだが、ヒエがびっしりなのである。ゴム製の細長い田植足袋をはい履いて、はや1週間。
ようやくヒエ取りの峠を越えたようである。
昨年、もち米の香米が失敗し、背丈以上に伸びて早々と倒伏。最も大事な登熟のころにヒエ取りが十分にできなかった田んぼである。田んぼのヒエ取りは毎年の積み重ね、一度でも手抜きうをすると、こぼれたヒエの種が翌年に水を入れた途端に発芽し、あっという間にヒエだらけになってしまう。米を作り始めて7年目、そして無農薬にして3年目にしての出来事である。
田植えして10日もすると、既にその予兆は見えていた、稲と稲の間には無精ひげのようなヒエが無数に発芽していた。今更、除草剤なんか使えるわけがない。イヤ、意地でも使わないぞ。しからば人力でヒエ取りに精を出すしかない。
3日もすると慣れてきた。実を言うと背が高いとヒエ取りにいい面がある。フツ―の人は4条(稲の並びが4列)程度をカバーしながらヒエ取りをやっていくが、私は少々背が高くリーチが長い。したがってカバーする範囲が6条程度まで手が届くのである。
大きい体に生んでくれた母親に感謝である。きっとこの日のことを考えのことだったのだろう?
昼間は板の間で寝転んでいるか、こうやって道の駅に涼みにくるしかない。勝負は早朝7時まで。そして夕方5時過ぎてからである。マツモト改めヒエダヤスオは今日もヒエを取る。
左側:ヒエ取り後 右側:ヒエ取り前