祝!気仙沼大島架橋開通

4月7日の日曜日、5000人(三十数年前当時)島民の悲願、気仙沼大島架橋がついに開通した。苦節50年、実に半世紀もの長い間待たされた橋がようやく完成したのである。妻の実家、気仙沼大島は気仙沼湾と、東に突き出た唐桑半島に挟まれた島で、近いところでは本土とわずか200m余りしか離れていない。しかしそこには橋は無く、当然のことのように船で行き来していた。そして、そこに住む者にとって、橋と船では雲泥の差があることを思い知らされた。

 

2011年3月11日。あの東北の震災津波にのまれた島は文字通り孤立した。島の中央部を津波が乗り越え、一時は南北二つに切り裂かれたようになった。多くの船は流され、さらに追い打ちをかけたのは1m近くの地盤沈下である。すべての港、岸壁が使えなくなったのである。

 

電気も水も途絶えた島民は、一時小学校のプールの水をろ過し飲料水にしていた。橋が無いばっかりに。

そしてその一年後、義母は多くの心労からか、急性の心臓疾患で帰らぬ人となった。夜間に急変した義母は救急艇で行くも、病院まで1時間近くもかかったという。橋さえあれば・・・

 

妻の実家気仙沼大島行くようになって三十数年になるが、この島の一部は陸中海岸国立公園に指定されてりおり「風光明媚な島」であった。「橋が出来ると風情が無くなり・・・」とか偉そうなことを言っていた当時の私を思うと、とても恥ずかしくなる。

 

4月に島で開催される大島椿マラソンには、私も何度か出場したことがある。当時の浅野知事もこのマラソンに出場していおられ、沿道からは「ハシーハシー」「橋をかけてくれー」と陳情応援?の声が飛び交っていた。

 

そして橋は出来た。復興のシンボル、念願の橋が開通したのである。ところがである。ネットで大島架橋開通のニュースを見ていた妻が、なぜか憤慨しているではないか。妻いわく「東北最初の離島の橋だって!」。50年かかってようやく出来た今回の橋が東北で最初なのである。残念ながらこれが東北の現実である。

 

とにかく橋が出来た。そして5月には妻と島に帰省する予定になっている。途中でレンタカーを借りて橋を渡って行くことになる。今からとても待ち遠しい。

問合せ

☎:090-6709-0484

☎:0974-27-2054

紅型(ビンガタ)タペストリ

2021年鶴亀

アクセスカウンター
カラコン 通販ダイエットサプリピアス通販モテコン