祝!平成は花粉症の時代だった(過去形)

30才代に入ってすぐのころ、眼鏡からコンタクトレンズに代えると同時に発症した私の花粉症。かれこれ30年におよぶ付き合いであった(過去形!!)。

 

上京して職場や街の様子を見て「花粉症なんて軟弱な東京人のかかる病」と冷ややかな態度であった私。同じ病が我が身に降りかかり「ああ、これで私も一人前の東京人になったのかな・・・」と。

 

ある休日、やけくそになった私は朝から点鼻薬を止め、そして鼻をかむのも中止した。そして部屋で横になり、顔の下にタオルを敷いた。そう、出たけりゃとことん出してやろう、鼻水を。あるだけ出たなら止むのが道理。と強硬手段に出たのだが・・・1時間たっても2時間、そして半日経っても鼻水は無情にも流れ続けたのである。恐らく私の花粉症レベルは、中の上(5段階で3から4に悪い)程度。

 

40才代で知った「鼻洗い(鼻うがい)」を始めて症状は半分程度になった。だがそこまで。5~6年前に友人から聞いた鼻の内側への「ワセリン塗り※」も効果はなかった。

 ※近頃NHK「ためしてガッテン」で紹介された

 

そしてめげずに最後の手段「舌下免疫療法」に挑戦したのが3年前のことである。少々値ははる(約¥100/日:保険3割負担で)。1年経過した春「おっ、けっこう楽」。2年めは「もしかして直ったかも」と思ったものの、4月になりヒノキ花粉で喉がつらい。

 

そして、そおして3年経過した今年の春は、2月の中頃少し鼻水が出たが、市販の点鼻薬・目薬2回/日×3日で終了。4月の中頃1日だけ無性にに鼻水が出たが、点鼻薬・目薬を3回、1日でこれも終了。つまり、つまり3年でほぼ完治!!

 

あの日以来、あんなに憂鬱だった春。過ぎてしまえばなんてことはない。治ったありがたみも忘れ、あたり前のフツーの春がやってきた・・・。病とはそんなものなのだろう。

 

よくよく考えてみると、昭和の終わりに発症し、平成の終わりに終息したのが私の花粉症の経歴でとなる。なんと平成30年まるごと花粉症。つまり、私の平成時代とは「花粉症の時代」だったのである。

 

ご苦労さまでした平成。さようならシダトレン。

3年間、お世話なった「シダトレン」

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